顕本寺ブログ

節分会2018

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当山・顕本寺では2月3日に、毎年恒例の節分会を奉修致しました。
毎年お一人ずつ名入れをした厄除けのお札や交通安全のお守りを御宝前に奉安し、参詣の皆様と共に、法華経の読誦とお題目をお唱えしております。
 
またここ数回の法要では、お参りいただいた方々に団扇型の太鼓をお渡ししています。今までは数が足りなくて叩いていなかったのですが、少しずつ数を増やしていきましたので、今回は皆さんにお配りすることが出来ました。
やはりお題目をお唱えする時に一斉に太鼓がなると、しっかりとした一体感を体験出来ます。(とても良いです!)

終了後はお参りに来られた方お一人様に一本ずつ、巻き寿司とぜんざい、そしてお供えの福豆をお渡ししました。
(私はぜんざい3杯いただきました。)
 
仏様に1年の無病息災を祈願するとともに、上記の節分セットを頂戴して心もお腹も一杯の節分となりました。合掌

阪神淡路大震災から23年

阪神淡路大震災の供養塔婆
今年の1月17日で、阪神淡路大震災が発災して23年になります。
 
この日を迎えて毎年思うことは「震災で大切な人を亡くされた方々の悲しみは決して無くなることはない」ということです。
 
何年経っても、亡き人の事を想うと涙が出ます。
10年経っても、20年経っても涙が頬をつたいます。
 
しかしそれは命が失われても、大切な人との縁は無くならないことを意味しています。
 
悲しみが無くならないからこそ、我々は静かに寄り添う事を辞めてはいけないと思うのです。
 
一人の人間として、一人の僧侶として、寄り添う気持ちを忘れずに、供養を続けていきたいと思います。合掌

歴史講座のご案内

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新年の1月も半ばに差し掛かり、正月気分が少しずつ薄れてきました。
 
普段の生活感覚が戻ってきたところで、早速ですが歴史講座のご案内をさせていただきます。
 
1月21日(日)と2月25日(日)の両日に、それぞれ第8回・第9回の「近畿とくしま歴史講座」が開催されます。
 
会場は大阪城の西側にある「大阪歴史博物館」、時間は午後1時30分~午後4時30分までとなっております。
 
今のテーマは「天下人・三好長慶の宗教ネットワーク」です。
 
三好長慶は徳島県出身ですが、活躍した地域は四国だけでなく、近畿圏内も含まれていますので、近畿各地に関連する地域があります。

そんな三好長慶を中心とした三好家の宗教ネットワークを紐解くのが今回の講座となっています。

不肖私も2月25日の回に「三好長慶と法華宗日隆門流」の演題で少しお話をさせていただくことになりました。
 
もともと歴史の専門家ではないのですが、話をする以上講演内容を今からしっかり練っておかなくてはなりません。(勉強せねば!)
 
普段の法務や1月2月の法要準備、節分のお札書きやお寺の事務や子育てなど、目がぐるぐる回る忙しさですが、なんとかいただいたお役目を果たしたいと思っています。
 
歴史や宗教にご興味のある方は、是非今講座にご参加いただければと思います。
謹んでご案内申し上げます。合掌
 


   【記】

 
「近畿とくしま歴史講座」
 
日程:(第8回)平成30年1月21日(日)
       
   (第9回)平成30年2月25日(日)

時間:両回ともに午後1時30分~午後4時30分(受付は午後1時から)

場所:大阪歴史博物館 4階講堂
       (大阪市中央区大手前4丁目1ー32)

参加費:500円

定員:250人(当日先着順)

主催・問合せ:徳島県人会近畿連合会
       (TEL 06ー6251ー0666)
 
(詳細はこちら)
http://kinki-tokushimakenjinkai.betoku.jp/article/2017120200010/

新しい年を迎えて

顕本寺本堂(2018)
明けましておめでとうございます。
平成30年戌年の新年を迎え、謹んでご挨拶申し上げます。
本年もどうぞ宜しくお願い致します。

当山では早速元旦の早朝(1月1日の真夜中)に除夜法要並びに元旦祝祷法要を奉修し、お参りされた方々に甘酒をお振る舞い致しました。

今年も当山では、盂蘭盆施餓鬼法要や彼岸法要・御会式などの法要に加え、元長忌や隆達忌などの各種行事を随時執り行う予定でございます。

また住職としては各方面における講演会等も予定しており、顕本寺の更なる飛躍の年に出来ればと考えています。
今後ともご指導ご協護の程、よろしくお願い申し上げます。

今HPや公式FBなどで各行事の情報を公開致しますので、ご興味のある方は是非ご覧くださいませ。

皆々様の年中安泰を心より祈念致します。合掌

年末のすす払い

年末すす払い
酉年の平成29年も、いよいよ年納めとなりました。
 
顕本寺では公式ホームページやフェイスブックの開設など、新たな事柄にチャレンジした年となりました。
そのような1年を無事に過ごせた感謝の気持ちを込めて、顕本寺本堂に奉安しております仏様のお木像の年末すす払いを行いました。
 
ひとつひとつのお木像を丁寧にすす払いすることによって、自分の心のすすも一緒に落ちていくような気持ちになり、心が洗われる想いがいたしました。

来年は今年の反省点を踏まえて、更なる事柄に挑戦したいと思います。
その挑戦の事柄については、このホームページで随時ご案内出来るかと思いますので、皆様どうぞよろしくお願い致します。
 
今年一年、本当に様々なことがあられたかと思いますが、皆様どうぞ良いお年をお迎えくださいませ。合掌

日蓮大聖人 御会式法要(2017年11月12日 大本山本興寺様にて)

法則(ほっそく)の奉詠

法則①
11月12日午後5時より奉修されました大本山本興寺様(兵庫県尼崎市)の「御会式(おえしき)法要」にて、法則の奉詠を勤めさせていただきました。
 
御会式は鎌倉時代の傑僧・日蓮大聖人の御命日に因んでその御遺徳を偲ぶとともに、報恩感謝の念を捧げる法要であります。 
また我々法華宗では御会式の中で、日蓮大聖人の御遺徳を讃える文章「法則(ほっそく)」を、独特の音韻・抑揚・節調・緩急をもって詠み上げます。

当日はお天気も良く、晴ればれした気持ちの中にも独特の緊張感を感じながら臨むことが出来ました。本当に仏祖三宝諸尊のおかげと思っております。
 
厳かな雰囲気の中法要が始まり、役目を担う法則師は麻の衣と麻の袈裟を身にまとい時を待ちます。そしていよいよ法則を詠み上げる時に御宝前へ進み、ただ一心に日蓮大聖人を讃える。そして法則の一言一句が自らの心に染み込んでくる。
 
まさに身に余るお役目をいただき、私自身の信仰心にとってはこの上なく有り難い経験となりました。
 
今後の更なる精進を誓うと共に、支えて下さった多くの方々への感謝の念を強くした1日となりました。合掌

第6回 隆達忌講演会(2017年11月4日)

第6回 隆達忌講演会を開催

第6回 隆達忌講演会
晴空に恵まれた11月4日、大阪府堺市の顕本寺において、第6回隆達忌講演会が開催されました。顕本寺ではお寺ゆかりの戦国時代流行歌・隆達節に纏わる講演会を毎年行っています。

第1回から毎回ご講演いただいているのは、隆達節研究の第一人者である大阪教育大学の小野恭靖先生です。
毎年テーマを変えながら、隆達節の魅力についてお話をいただいております。
今回は「隆達節の心と言葉~中世歌謡から近世歌謡へ~」と題してご講演いただきました。

小野先生は「日本歌謡史」や「日本芸能史」の研究をご専門とされながら、「ことば遊び」や「洒落」の研究にも精通されているので、私たちに馴染みのある言葉と、昔に使われた歌謡中の言葉の関連を分かりやすくお話いただきました。
まさに「ことばの魔術師」といった感じです!

隆達節は歌謡のなかでも「室町小歌(むろまちこうた)」に分類され、中世小歌の
完成形と言われています。また江戸時代から始まる近世歌謡の特徴も随所にみられることから、新時代の歌謡のはしり的な役割を果たしていると指摘されました。

その特徴的な言葉として、それまでの歌謡であまり使われなかった「君」や「そなた」などの「相手を指す言葉」を挙げておられました。
先生が最後に「(私)から(君)へ。隆達節は日本歌謡の歴史の転換を担った特別な歌謡なのです」と力説されていました。

隆達節の魅力を改めて知ることの出来た、貴重な講演会となりました。合掌

戦国時代の流行歌を作った人物 ~ 高三隆達 ~

高三隆達の肖像画(顕本寺蔵)
来月11月4日に大阪府堺市・顕本寺で開催する「隆達忌講演会」に先だって、戦国時代に流行した歌謡の作者をご紹介いたします。
 
作者の名前は「高三 隆達(たかさぶりゅつたつ)」。
(写真は後代に描かれた隆達肖像画。顕本寺蔵)
歌謡の名前は「隆達節歌謡」または「隆達小歌」と言われています。
 
実は隆達の生涯を纏まった形で正確に伝える文書がなかなか無いので、各史料を総合的に捉えた説でご紹介いたします。
 
隆達は室町時代の大永7年(1527)、現在の大阪府堺市に生まれました。
生家は有力な薬種商「高三家」だったと伝わっています。
その家の末子として育った隆達でしたが、商売を継ぐ立場ではなかったので、早くに仏門に入ります。
隆達は出家して、高三家が信仰していた法華宗・顕本寺に僧侶として居住しました。後に隆達は、顕本寺の境内地に高三家が建てた「高三坊(こうさんぼう)」という塔頭寺院の住職になります。

隆達が僧侶になってから数十年の後、兄が亡くなり本家を幼少の甥が継ぐことになりました。隆達は家業を補佐する為に僧侶を辞める、いわゆる還俗をします。
還俗した時期は正確には分かりませんが、隆達が「羅漢講式」という仏教書を書写したものが伝わっており、これを書写した年代が天正16年(1588)となっていますので、少なくとも天正16年頃までは僧侶として生活し、その後の天正末期から文禄年間に還俗したと思われます。
 
還俗した後は本家の商売を補佐する傍ら、僧侶時代に会得した声明や、その時に学んだ和歌や古歌に節を付け、時には自ら詞を作って節付けをし、自分流の歌謡を作り上げました。
また隆達は書にも通じ、隆達の書風は「堺流」と称されました。
 
隆達は自らが作り上げた隆達節を歌ったり、歌本にして交流がある人に贈ったりしていたようです。
隆達節はたちまちに評判になり、歌本を所望する人が数多く現れました。
上層の武士や町人の間で人気になり、また口づたいに世間に広まった結果、巷の流行歌となっていったのです。
時の権力者であった豊臣秀吉にも召し出され、御伽衆に名を連ねたとも伝わっています。

戦国の激動から新たな時代の幕開けへと変化する世を生き抜いた隆達は、慶長16年(1611)11月25日、85歳の長寿で没しました。
自分の想い、そして時代を生き抜いた多くの人々の想いを歌に託し、一大流行歌を作った隆達は、現在顕本寺の境内地に静かに眠り、平成の世を見守っています。合掌

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