2021年03月27日
3月21日、雨空(お昼は大雨)となりましたこの日、当...
2021年02月16日
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2021年01月14日
合掌 皆様、明けましておめでとうございます。本年も当山...
顕本寺は宝徳3年(1451)日隆聖人によって、この堺の地に創建されました。当時はいわゆる「戦国時代」に突入していく時代であり、関東では享徳の乱、関西では応仁・文明の乱が起こる直前でした。そのような混沌とした時代だからこそ、当時の人々は拠り所となる教えを求めたのです。農民や商人、そして武士がそれぞれに法を求め手を合わせました。その代表的な人物が三好元長と高三隆達です。
三好元長は、阿波の国(徳島県)出身の戦国武将で、室町幕府と死闘を繰り広げた「堺幕府」の中核を担っていた人物です。元長はその武勇を如何なく発揮し、足利将軍を京都より追放するなど活躍しましたが、享禄5年(1532)顕本寺で非業の死を遂げました。その死後、顕本寺は元長の息子である三好長慶や三好実休らによって元長の位牌所と定められ、元長の供養を担うこととなっていきます。
また顕本寺に住持していた僧侶の一人に高三隆達がいました。高三隆達は堺出身で、薬種商の家に生を享けましたが彼は末子であった為若くして出家し、顕本寺の塔頭・高三坊の住職となりました。時が経ち、故あって還俗した隆達は、持ち前の美声を使って多くの歌を作りました。それが世に言う「隆達節」です。隆達節は戦国時代から江戸時代にかけて大流行しました。人生の機微や情緒を表現したその歌は、現代も人々の心を魅了し続けています。
顕本寺は創建後、宗門の中にあって京都・本能寺、尼崎・本興寺の末寺に名を連ね、「南西国末寺頭」と定められていました。天文5年(1536)に起こった天文法華の乱に際しては、京都の本能寺が堺の顕本寺に避難しています。また天正14年(1586)豊臣秀吉から寺領27石の朱印地を許され、御朱印寺院となっています。元和元年(1615)の大阪夏の陣によって堂宇を焼失しましたが、元和8年(1622)現在地に再建されました。現在も再建当時に作られた青銅の鰐口(わにぐち)が現存し、当時の復興の様子を今に伝えています。その後時代が下り、昭和の大戦中に起こった堺大空襲によって再度焼失した顕本寺は戦後に復興し、平成15年(2003)に新本堂が落成され現在に至っています。
顕本寺では皆様のご信仰を護り、そして地域に根付いた行事を多く催しています。
寺院で行う法要の中では、2月3日に行われる節分会において、お申し込みされた方の厄除けのお札や、交通安全のお札を丁寧に名入れします。また祈願法要の後にはぜんざいや恵方巻き・福豆といった、節分ならではの食材を参詣者に振る舞い、賑わいを見せています。
3月中旬・8月中旬・9月中旬には、春秋の彼岸法要と盂蘭盆法要を修行し、参詣者やお塔婆をお申込みいただいた方々のご先祖様の供養を行っています。お題目が書かれたお塔婆が本堂正面に一斉に並べられている様は圧巻です。
11月には日蓮大聖人の御命日法要である「御会式」が奉修され、日蓮大聖人に対する報恩のお勤めが行われています。この法要では、寒い時期に日蓮大聖人の御木像におかけする「綿帽子」や、桜の花びらを模した「御会式桜」などを参詣者にお配りし、共に日蓮大聖人のご遺徳を偲んでいます。
年末の大晦日には午後12時(午前0時)に除夜法要を本堂で行っています。お堂内の電気を消し、ローソクの灯りのみの中、一心に唱える御題目の功徳によって、神秘的な体験が出来るとともに、新たな年を迎える法要となっています。
地域に開かれた行事としては、歴史に関連した講演会などを開催しています。その代表的な行事は「元長忌」と「隆達忌講演会」の二つです。
「元長忌」は戦国武将・三好元長の命日である6月20日前後に毎年行っている、元長を偲ぶ法要です。元長の追善法要を行った後は、三好家に纏わる講演会が開催され多くの方が訪れています。
隆達忌講演会は毎年11月頃に行っている隆達節に関する講演会です。隆達節研究の第一人者・小野恭靖先生にお話しいただく講演は、隆達節を知る上で貴重な機会となっています。
これらの他にも、堺文化財特別公開や堺まつり、彩桜忌などの地域の行事に参画し、地域に根付いた活動を幅広く行っています。